蒲生氏郷(ガモウウジサト) 松阪を設立

添付:谷口春郷・樹氷

三重県松阪より15キロほどの櫛田川と山間部箱庭のような大石村県立香肌峡)に位置し昭和初期から谷口家のアトリエ同窓生の家が有りました。田中豊美 他数人が画家を志し苦学の末現在の地位を築きました。其の環境から私は幼い時期より絵に関心が有りました、私の故郷と画家の想い等を伝えその仲間と語り多くの方の集いを説望致します

桃山時代 蒲生(ガモウリウジシ)氏(うじ)郷(さと)が松阪を設立。その後会津は蒲生(ガモウリウジシ)氏(うじ)郷(さと)が設立した・ 松阪は 竹川竹斉 国分豪商三井家の生まれ 本居宣長 小津 長谷川 長井 著名人有り・* 大石宿の衰退(猪鹿猿町)大石村は、紀州藩により和歌山街道の宿場町として整備され、本陣・伝馬所等が置かれた。本陣は、紀州藩地士の青木伝蔵家に置かれていた。青木家は、中出の集落にあり、今もその跡地には俗に「ほんじ」と呼ばれている。また、本陣の近くには伝馬所が置かれ、村には伝馬30頭と伝馬役30軒の義務が課せられた。 しかし、延享2年(1745)以降、和歌山街道は藩主の参勤交代路に使われなくなったため、大石宿は次第に荒廃の一途をたどった。また、寛政末期(1800年頃)に起こった伝馬所と村民との争いは、大石宿の衰退に拍車をかける一因にもなった。